2017年1月12日木曜日

愛の本質。


昔からの友人が集まると、
「初恋の人は誰だったの?」
というような話題になったりします。
その時ワタシは、ずっと、「T君が初恋の人♡」
と言ってきたのですが、実は、その前にも好きな男の子はいたのであります。
でも、T君にたいする思いから、
せつない、苦しい、胸がキューンと痛む、彼にも私を好きになってほしいなど、
大人の思いになったわけ。
T君に たいする想いは、秘密で、誰にも知られたくなくて、
仲のよい、たった二人の女の子にしか言っていなかった〜。

でも、その前までの「好き」は、
同時に3人くらいは好きで、オープン。
お掃除に時間などに、
「一番好きなのは◯君で、二番目は⬜︎君、三番目は△君〜♫」
なんて、みんなで言い合って、恥ずかしいもないし、
もちろん、苦しいも切ないもなし。相手が自分を好きかどうかは
あまり気にしていなくて、ただ、好きで、それでハッピー♡
うきうき、わくわく なわけです。

ところで、私たちのコアにある意識は、宇宙意識つまり神さまにつながっていますが、
神さまはどんな存在かというと、「無条件の愛」の存在と言われます。
誰か対象がいるから、その人を愛する。
というのではなくて、すべての存在を同じく愛している。
もっと言えば、存在自体が愛。なわけです。

とすると、私が経験してきた「好き」は、
どっちかというと、未熟な子供の恋と思っていた方が、より、ピュアでエゴが少ない
「好き」だったのですよね。
生まれてから、時間がたつにつれて、いろんな観念、思い込みがくっついて、
人は苦しんでしまうけれど。

聖書にも、「幼子のようでなければ神の国に入ることはできない。」とあるけれど、
じつは、神の本質の愛に近かったのは、切なくなる前の想いだったんだな〜。

そう思うと、また、恋するのもよいね〜♡
なんて思う私でございます。

































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